変わる歴史、変わらない愉悦
手塚治虫『時計仕掛けのりんご』所収の『ペーター・キュルテンの記録』を思い出し、ペーター・キュルテンのことを考えていました。
『ちくま哲学の森 3 悪の哲学』
善人なおもて往生をとぐ、
いわんや悪人をや。
悪人礼賛(中野好夫)善良な田舎者(オコナー)蒼白の犯罪者(ニーチェ)陰謀について(マキアヴェリ)善人ハム(色川武大)歎異抄(親鸞)など22篇
銘文(ダンテ・アリギェリ)
毒もみのすきな署長さん(宮澤賢治)
湯の町エレジー(坂口安吾)
マザー・グース・メロディー(花田清輝)
悪人礼賛(中野好夫)
仲間と犯した窃盗のこと(アウグスティヌス)
困ったときの友(モーム)
善良な田舎者(F.オコナー)
尋問調書・補遺(P.キュルテン)
蒼白の犯罪者(ニーチェ)〔ほか〕
永山則夫さんのことも思い出しますが、誤解をおそれずに言えば、罪を犯すのとそうでないのと、大きな違いがあるように見えて、根底は大して違わないとも思えます。世界は美しいもの、善良なものばかりではないのですから。
人は自分のことをよく知らず、科学的に充分な説明はできません。根拠のない希望、光、 そういったことが脳の所作の一つに過ぎない以上、また、種の保存に関する機能だとしても、事実と虚構、描かれなかったことまでも口承や経験で知ること、それが歴史です。 歌うこと、書くこと、聴くこと、読むこと、描くこと観ること踊ること作ることは、喜びであり戦いであり苦しみでした。 私もいつか、過去になります。
by boushiseijin | 2013-12-03 16:16 | from tokio