also It's spring,  邂逅

 せんだって、最近会っていない祖母に電話をかけたら、開口一番「今日おやすみ? 下北沢にいる知り合いが亡くなりんさって今からお悔やみ行くから、悠も来る?」と来るわけである。

 今年88になる祖母にこう切り出されて断れるわけがない。 祖母は人づきあいがよく、知り合いが多いので、二人で小田急線のホームに立っていたら早速近所の人に出くわした。

 バタバタしていたら、手土産もご霊前の花も向こうで買うことになり、迎えに来た向こうの娘さんがお花屋さんのすぐ横に車をつけて待っているという珍妙なことになってしまった。

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 細い道を入ってしばらく、もうこの辺りでも珍しい門構えの木造の日本家屋であった。

 客間に案内され、亡くなった方のご主人と挨拶を交わし、祖母はまた問わず語りを始める

 なぜだか今日は、夫の父、私にとっては曾祖父の話だ。

 「主人(私の祖父)の父は、若い頃血気盛んで、家のお金を持って出奔し、鳥取の山を越えて神戸に行ったそうなんですよ」
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「神戸からアメリカに渡ろうと思っとったら、当時神戸からアメリカへ行く便は月に一つくらい、せっかちなもんで待ちきれず、しばらく神戸で人足として働いて、使い勝手がいいので重宝され、続けてくれないかと乞われたが、そこも逃げ出し、結局朝鮮半島から中国に渡り、満鉄で働くことになったそうです」




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「仕事と住まいが落ち着いたところで、主人の父は親許に便りを出したんですよ。そうしたら、何をしとるかいいかげん嫁でも持ってしっかりせいと、鳥取から安東まで見張り役の嫁を連れて来られて。 それがそのお嫁さん、末っ子で家事のいっさいもできず、しょっちゅう怒られて『荷物まとめて実家に帰れ』と風呂敷包みと一緒に外に放り出されていたんですって。 それでも逞しいもんで、そんな時は現地の人から安く手に入れた玉子を内地の人に売って商売されとったらしいですよ」

 祖父も曾祖父も、新し物好きのミーハーなものだから、当時近くに住んでいた吉田茂にねだって書いてもらった書が家にある。 曾祖父の若い頃は、昭和天皇をだいぶ美しくしたような美男子だが、祖父を顧みるだにいくらか軍国主義に傾いていたかもしれない。日露戦争の講和条約での苦難の後、最も進んだ高等教育を受けて国際状況を知りえたはずの天皇も戦争を回避できなかったのは、時代の渦というものなのだろうか。

 おおいなる精神は静かに忍耐す(シラー)

 安東(今の丹東)の日本人学校で得難い友人を得た祖父だったが、その何人かは特攻で亡くなっている。祖父は虚弱体質で目も耳も体格も悪く軍事教練しか出ていないので、今も相当なコンプレックスがあるようだ。

 いっぽう祖母は、弟が特攻に行かされる寸前で戦争が終わったので、「虎年だから助かったんだ」と無邪気に喜んでいる。

 敗戦後祖父の家族は着の身着のまま鳥取に戻り、祖父は家族が揃うのを「とにかく待っているしかない」ので待っていたそうだ。まずい高粱(家畜の飼料)すら食べていたのが、県の職員になり初めてコーラを飲んで、「こんなうまいものが世の中にあるのか」と感嘆したそうである。

 その後祖父母は親戚の紹介で見合い結婚したのだが…

 祖母は、ワンマンで癇癪持ち、外面のいい祖父にずいぶん苦労させられたらしいのに、祖父の入院中は毎日見舞いに行ったり、 私にはまだ愛ってヨクワカラナイカモネ…012.gif

 なんでも、守るべき家族がいて、明日を 春を迎えることができるのはとても素敵なことらしいです058.gif056.gif057.gif
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by boushiseijin | 2013-03-01 10:45 | life